もう何年も会っていない人の事をふと思い出した。
きっかけは、「 プチ家出 」の記事に書いた、Shambara の主宰をしていたギタリストの ☆ さんとの偶然の出逢いだった。
偶然のタイミングが、1人の人間に与える影響の大きさを思うと、この☆さんが、これからどの運命にニヘドンを導いてくれるのか、非常に楽しみだ。
☆さんを知ってからと云うもの、ずっと、人との出逢いに付いて、頭の片隅で考え続けていた。
そんな時、どう云う訳か、ある人物を突然思い出してしまった。
それは、楊志源と言う名の人物であった。
彼は日本では「 よう しげん 」と名乗っていた。
17〜18年前の事だ。
当時、既にもうかなりのオヂ様だったから、今でも元気でいらっしゃるのかどうか分からない。
ちょっと「 楊志源 」でネットで検索を掛けてみたが、何も見当たらなかった。
もしかしたら今は別の名前で仕事をしているのかもしれない。
「 楊志源 」と云う名前を知る人は恐らく読者の中には、いないかもしれない。
しかし、彼のしたエポック・メーキングな仕事は、恐らく知っている人が多いと思う。
楊志源がした仕事 …… それは1987年03月に、北京の首都体育館と、広州の中山記念堂で行われた。
コンサートだった。
ステージの上で熱唱したのは西城秀樹。
日本国籍を持つ者が中国国内でコンサートを開くなんて前代未聞の出来事であった。
当時の中国は、まだまだ共産党の赤い色一色に染まっていたからね。
クラシック音楽でもない、アメリカかぶれの音楽を演る日本人の若者が中国国内でコンサート!?
当時、このコンサートのニュースは内外を駆け巡った。
それから約5年経った 1990年前半に、ニヘドンは社交ダンスのドレスを製作販売する会社でバイト待遇で働いていた。
働いていたのだが、お給料は、この会社と提携関係にあった別会社から支払われると言う摩訶不思議な事になっていた。
つまり、実際の雇用主は事務所の女社長なのだが、書類上の雇用主は別会社の社長だった。
別会社の社長は「 社長 」と皆から呼ばれていたので、ここでもそう呼ぶ事にする。
社長は慶応ボーイで、金の出しっ振りは見事だった。
社長のお供で、色々な高級店で食事をさせて貰った。
この社長が楊志源と2人でタイアップして香港の北側に位置する 中国の深せん と呼ばれる所のホテルを買い取った。
古代中国のお城を模した建物で、平屋の建物がずーっと横に広がるムード溢れるホテルだった。
名前が凄いよ。
「 香蜜湖 」( シャンミンフー )
英語の名前は Honeymoon Lake 。
ここを社交ダンスのメッカ、アジアの「 ブラックプール 」に創り上げようと云うのが、社長と楊志源のプロジェクトだった。
このプロジェクトにニヘドンも駆り出されたのだ。
社長と楊志源とニヘドンと、もう1人、別会社の女性スタッフ1人と深せんに向かった。
やる事は山程有った。
サービス精神のカケラも持ち合わせていない従業員の再教育。
従業員の制服を選んで調達。
役職毎に種類の違う服を選ばなければならないので調達する服は膨大な数になった。
当時の中国に日本人受けするデザインの服は皆無だったので全部日本から調達した。
北京から呼んだ、社交ダンスが踊れる舞踏団の一座の訓練。
彼女達は、日本からお客を送り込んだら、リクエストに応えて踊りの相手が出来る様にしなければならない。
レストランの真っ白なテーブルクロスにロゴマークを入れるのに「 プリントごっこ 」が大活躍した。
日本国内ではなかなか体験出来ないホットな仕事にニヘドンは燃えた。
1番燃えたのは、香蜜湖専属のフィリピンバンドのメンバーの補充だった。
既にメンバーは20人程揃っていたが、オーケストラ並みの規模にしたかった。
何しろ目指していたのは「 アジアのブラックプール 」だからね。
返還前の香港に渡るのは造作も無い事だった。
香港に渡っては、社長と楊志源とニヘドンはバーやパブを梯子して回った。
いいミュージシャンを見つけたらスカウトする為だ。
この経験だったと思う。
この時の経験が、今のニヘドンの一部分を作った事は疑う余地は無い。
当時は、まだ一般人がインターネットで情報を発信する世の中が来るとは夢にも思わなかった。
だが、あの香港の夜の箱の中で、いいミュージシャンを求めて徘徊する意義の種を、エポックメーカー楊志源によってニヘドンの脳に埋め込まれたのは確かな事だろう。
このミュージシャン・ハンティングの経験が無ければ、ニヘドンは音楽をダウンロードするだけのイージーな世界で満足してしまう人間になったかもしれない。
いや、イージーな手段で楽しむのも、勿論OK。
でも、それだけでいいの?
クリック1つでダウンロードした音楽を聞いて、それで評論ぶちかますの?
自分の足で探しあてたミュージシャンだからこそ、感動もひとしおなのだ。
ニヘドンはこれからも「 現場主義 」!
これからも 「 ライブ主義 」!!
これからもライブを行う皆さんを応援して行きます!!
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[ おまけ 〜 あれやこれや ]
西城秀樹は 1954年04月13日生まれ。
おや、ついこの間、お誕生日を迎えたのですね。
西城秀樹さん、おめでとうございます!
ニヘドンは04月11日生まれ。
この辺りに生まれた人々は、大体、他人からは「 熱い人 」だと思わるるみたいですね。
他に04月11日生まれと言えば、加山雄三、森田健作。
あち〜。
西城秀樹は元々ウッドストックに憧れていて野外でコンサートをやってみたいと思っていて、それで球場コンサートが行われる様になったとか。
ウッドストックか…。
そう言えばお茶の水の Woodstock Cafe で 伊藤まくさんの Japanoise Event が催されたっけなあ。
と言って、西城秀樹と伊藤まく氏を無理やりリンクさせようとする。( 笑 )
そう言えば Woodstock Cafe のマスターは、04月10日に横浜にジャズを聞きに来ると言っていた。
ニヘドンたら、「 横浜で会おう〜! ぢゃんぢゃん! 」と
凄い軽いノリで応じてしまったものの、よく考えたらその日はヤマハのアンサンブル・フェスティバルにニヘドンが出演する日だった。
こうしてマスターとの横浜ランデブーはおジャンになってしまった。
マスターからは「 またお店に来て下さい。」と言われた。
お店のオーナーとしては至極真っ当な発言ですわな。
また Woodstock Cafe に行かねばね。
「 エフェクターを使うなんて邪道だ!」と言うマスターを、ノイズに改宗させてやらんとなあ…。( ニヤリッ ( ̄ー ̄)ニヤリッ )
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